思想の自由市場論について(上)
思想の自由市場論とは、最初に言及したホームズ裁判官の言葉を借りれば、「真理の最良の判定基準は、市場における競争のなかで、みずからを容認させる力を持っているかどうかである」という考え方をいいます。そして、この真理に到達できるという点が、表現の自由が他の自由権よりも優越的地位にあるとい う主張を支えてきたのです。
今回は、この思想の自由市場論から、違憲審査基準を導出するという発想を説明したいと思います。
① 思想の自由市場論の本質
思想の自由市場論から、違憲審査基準を導出するためには、思想の自由市場に対するどのような規制措置がどのように市場にダメージを与えるかを分析する必要があります。そのためには、市場の本来の姿を知らなくてはなりません。
そこで、思想の自由市場論の本質を説明します。
思想の自由市場という発想は、当然ながら経済市場のメタファーです。
経済市場においては、自由な営業行為がなされています。ところが、各人が自由に営業をしていると必ず何らかの弊害が発生します。この弊害に対して、 少々の弊害ならば、そのような弊害を発生させるプレイヤーは弊害が賠償金等のコストに跳ね返り、いずれライバルに破れ、市場から駆逐されると考え、自由に任せるべきという考え方がありえます。他方、その弊害が生命・身体に影響を与えるような場合は、自由市場に任せていては、取り返しがつかない事態が生じることがありえますので、(消極目的)規制を正当化できる場合がありうるという考え方があります。
ここで重要なのは、「弊害を発生させているがゆえに市場から駆逐されうる」ということと、「市場が弊害源を駆逐するには時間がかかる」ということです。
これを表現の自由市場におきかえると、以下のようにいえることになります。
思想の自由市場においては、自由な表現行為がなされています。ところが、各人が自由に表現をしていると必ず何らかの弊害が発生します。この弊害に対 して、少々の弊害ならば、弊害を発生させていることはその表現の価値を減少させるため、その表現はそこを攻撃され、対抗言論により淘汰されます。他方、そ の弊害がすぐ起こりそうでかつ憲法上の重要な人権侵害を引き起こすような場合は、対抗言論による淘汰が間に合わない事態が想定されますので、規制を正当化できる場合がありうる、といえるのです。
ここで重要なのは、やはり「弊害ゆえに対抗言論により市場から駆逐されうる」ということと、「市場が弊害源を駆逐するには時間がかかる」ということです。
② 明白かつ現在の危険の基準との関係
上述の「市場が弊害源を駆逐するには時間がかかる」という思想の自由市場の性質から、重大な弊害発生まで時間が切迫している場合の弊害除去の規制が正当化されます。このような場合の規制といえるかどうかの基準が、「明白かつ現在の危険の基準」です。
一応説明しておくと、明白かつ現在の危険の基準とは、㈠近い将来、実質的害悪を引き起こす蓋然性が明白であること、㈡実質的害悪が重大であること、 つまり、重大な害悪の発生が時間的に切迫していること、㈢当該規制手段が害悪を避けるのに必要不可欠であることの三つの要件が認められる場合には、表現を規制できるとする違憲審査基準です。
逆からいえば、この「明白かつ現在の危険の基準」というものは、(速やかに弊害除去しなきゃいけないのに、それができないという形など)思想の自由市場が機能不全をおこしているという限定的な局面でのみ働く基準です。
③ 事前抑制禁止原則との関係
事前抑制禁止原則とは、表現に対する公権力による事前の規制を排除するという原則をいいます。
この原則は、事前抑制は思想の自由市場論に真っ向から反するという考え方から導かれます。
つまり、思想の自由市場論というのは、市場に表現が自由に出回ることによって、ある表現には別の対抗言論が存在するという状況を保証し、それらが淘汰しあうことでより真理に近づけるのだ、だから表現の自由は優越的地位を有するのだという発想をいいました。
しかしながら、事前抑制は、表現が市場に流通する前に公権力によって市場への投入を阻止します。これはすなわち、表現の淘汰を対抗言論ではなく、公権力が権力的に行っているのです。この点が、思想の自由市場論に真っ向から反するとされる点です。事前抑制という手法を用いるということは、対抗言論による淘汰を信頼しておらず、それは思想の自由市場の存在をあやふやなものにするのです。
もっとも、以上の理屈が成り立つのは、表現内容規制に限定されます。というのは、表現内容中立規制は、表現の時・場所・方法に関する規制をいいま す。そして、時・場所・方法による規制というのは、(それが実質的な表現内容規制でない限り)一定の市場への表現経路は残されています。詳言すると、いく ら公権力が市場に出回る前に時や場所等に着目して規制したとしても、規制されていない時や場所で表現すればいいわけですから、依然として表現経路が残っているわけです。
ということは、規制にかかわらず対抗言論も思想の自由市場もキチンと機能していますので、上の理屈は成り立たないわけです。ですから、表現内容中立規制なのに、事前抑制禁止の原則を持ち出すのはおかしいといえるのです。
(続く)