思想の自由市場論について(下)
前回は、思想の自由市場論の持つ意味や、思想の自由市場論から明白かつ現在の危険の基準や事前抑制禁止原則を導く考え方を説明しました。併せて、表現内容中立規制については、この議論が上手く妥当しないことも説明しました。(表現内容中立規制については、原則通り目的手段審査で規制の正当化を考えることとなります。)
今回は、思想の自由市場がそもそも不存在(不機能)である局面や、わいせつ表現等の取扱いについて説明したいと思います。
④ 市場の機能不全
前回は、弊害発生までの時間が切迫しているため、対抗言論による淘汰に任せていては、弊害除去が間に合わないという局面を念頭において、市場の機能不全を説明してきました。これの典型例は、破壊扇動表現です。もっとも、市場の機能不全はこの局面に限りません。例えば、プライバシー侵害表現の場合は、 市場への回路がつながってしまった瞬間に回復不可能な弊害が発生してしまうため、市場が上手く機能していません。これも市場の機能不全です。この場合も規制に対して同様の理屈で正当化を考えることになります。
⑤ 低価値表現
機能不全の場合と同様の規制の必要性が一般に認められる場合があります。性表現や差別的表現です。しかしながら、規制の正当化を思想の自由市場論か らは上手く説明できません。なぜなら、これらの表現こそ対抗言論で淘汰されるべき言論であり、これらの表現によってもたらされる弊害も抽象的なものにとど まるからです。
そこで、これらの表現に対する考え方は二つに分かれます。
ひとつは、差別的表現には価値がないから、思想の自由市場論はカテゴリカルに排除すべきとする思想の自由市場不適格論です。
つまり、差別的表現への規制は表現内容規制ですが、差別的表現には価値がないので、内容規制としての側面は抜きにして考えればいいのではないかということです。そうすると、正当化には目的手段審査を使うことになります。(私見)
もうひとつは、差別的表現には対抗言論も無力だから、思想の自由市場が機能しない例外的な場合にあたるとみなす思想の自由市場機能不全論です。これ は、さっきいったように本来は対抗言論で淘汰されるべきはずなのだけれど、差別的表現は他の個体と差別化を図りたいという人間の本質に根差す特殊な言論であって、対抗言論は差別的表現を淘汰するまでの力をもたないのだから、④の場合と同じ状況だと「みなす」という議論です。個人的には、あまり説得力を感じませんが、この場合は④の場合と同様に処理をするということになります。
⑥ 市場の不機能
市場の機能不全と似て非なるものに市場の不機能があります。これは、思想の自由市場を想定したうえで、その機能が上手く働かない場合を指す市場の機能不全とは根本的に異なります。市場の不機能というのは、そもそも思想の自由市場を想定できないような局面をいいます。
この例はいろいろありえますが、例えば生物の多様性や生態系を守るために、あらかじめ生物の使用に一定の枠をはめる規制をかけるという局面を想定し てみると、生物を使用するという行為は、学問の自由等で保障されうる行為ですが、対抗言論というものを想定できません。そもそも市場を想定できないのですね。ですから、この局面は「市場の不機能」です。
市場の不機能ということは、事前抑制禁止原則や明白かつ現在の危険の基準は導けませんので、このような局面で、法律であらかじめ一定の行為に規制の枠をかけたという点のみに着目したりして、事前抑制禁止原則を持ち出したりするということは、誤りであることになります。
以上のように、思想の自由市場論というものを問題に出会ったときの一つの道具として持っておくと、より違憲審査基準の定立が精密になる、といえます。