建造物の現住性(下)
前回は、「建造物」の意義、(抽象的な)「住居」の意義及び「住居」は一義的に範囲が定まる概念ではない事を説明しました。今回は、その続きとして、具体的な建造物(群)を想定した場合に、どの部分が「住居」ゆえに現住建造物として108条の客体であるかを考えていきたいと思います。
③ (いわゆる)建造物の一体性~複数建造物の一体性~
Case1. Xは、深夜3時頃、本殿、拝殿、社務所が廻廊で接続されたH神宮社殿の一部である祭具庫に火をつけた。社務所は現住部分、その他は非現住部分であるところ、燃えたのは非現住部分のみであった。
上のケースは、平安神宮社殿放火事件(最判平成1・7・14)を単純化したものです。
まず確認すべきは、前回cf.内で言及しましたように、本殿、拝殿、社務所は「建造物」の定義に従って、各々別個の「建造物」と評価したいところですが、本事件判決が「全体として一個の現住建造物」という無駄に「建造物」概念をややこしくする判示をしたため、「現住」性の有無(=(いわゆる)建造物の一体性)を判断しない限り、各々を(一体性が否定されるとして)「建造物」と評価すべきか、(一体性が肯定され全体が一個の「建造物」となるがゆえに)「建物」と評価すべきかは分からないということです。
そこで、「現住」性を先に判断します。
Case1の記載によると、社務所は「現住」部分であり、火が付いた場所である祭具庫等他の場所は「非現住」部分です。
もっとも、前回詳しく説明しましたように、(具体的な事案における)「住居」は建造物内部への類型的な危険の可能性を有するものである必要があります。
(抽象的に定義された「住居」に該当することを前提に、)このような危険の可能性があるのであれば、「住居」性は肯定され「現住」建造物となり、反面、可能性がないのであれば、「住居」性は否定され「非現住」建造物となるのです。
そこで、建造物内部への類型的な危険の可能性を判断する基準が必要になりますね。
(1)判例の考え方
この点、判例は上記平成1・7・14において、「右社殿は、その一部に放火されることにより全体に危険が及ぶと考えられる一体の構造であり、また、全体が一体として日夜人の起居に利用されていたものと認められる。そうすると、右社殿は、物理的に見ても、機能的に見ても、その全体が一個の現住建造物であったと認めるのが相当である」と判示しています。
上記基準として、物理的一体性と機能的一体性に言及しているという点は、ご存じの通りです。また、物理的一体性を判断するにあたって延焼可能性を考慮している事や、物理的一体性と機能的一体性が完全に並べて書かれているため、両者を並列関係と捉えていると読むのが素直である点が指摘されています。
(cf. 機能的一体性は「現住」性固有の議論であるのに対し、物理的一体性は、「建造物」か否かという構造上の一体性と、延焼可能性という「現住」性固有の議論がミックスされている点に特徴があります。これは、複数建造物の場合は、「現住」性について、「現住建造物」性という形で「建造物」性をも巻き込んだ形で一体的に判断しているからこうなるのです。
つまり、本来は「建造物」か否かという議論がまず先にあり、それが「現住」性を有するかという形でクリアに問題設定できるはずだったのが、上記判決が「全体が一個の現住建造物」という要らない事を言ったせいで、建物が複数存在する場合だけは「現住建造物」性を議論する必要が出てきたのです。)
(2)物理的一体性
(2-1)物理的一体性とは
判例は、物理的一体性について、「その一部に放火されることにより全体に危険が及ぶと考えられる一体の構造」かどうかという判断と表現していましたね。ここでは、延焼可能性がキーポイントです。構造上一体であることに加えて、(放火部分から当該建物まで)延焼可能性があることが「建造物内部への類型的な危険の可能性」の肯定につながるからです。
(2-2)延焼可能性の考慮の可否
これに対して、物理的一体性については、構造上1つに繋がっているかどうかだけで形式的に判断すべきであり、延焼の可能性を具体的に考慮すべきでない、という見解もあります。
これは、上記判決のように「建造物」と「現住」性を捉えたら、両概念の射程が無駄にぐちゃぐちゃになるだけから、「建造物」は「建造物」としての前回の定義に従って構造上一体かどうか判断し(=それを物理的一体性と表現している)、その他の要素は、「住居」性において別途検討しようよ、という事だと思われます。
もしこのように理解できるとすれば、大変共感できる見解です。しかし、物理的一体性において延焼可能性を考慮するという点については、判例は確立しておりますし、学説の大半は異議がないようですので、おとなしく判例の理解に従っておくべきでしょう。
(cf. 「公共の危険」は延焼の危険に限定しないという立場からは、延焼可能性以外にも有毒ガスによる危険の可能性等も当然、この物理的一体性の中で検討すべきことになります。)
(cf. また、「現住性」の議論の中で(物理的一体性の要素として)延焼可能性を議論する事は学説上一般に受け入れられていますが、ここから結局、林教授がおっしゃるような内的危険(=「現住性」)と外的危険(=「公共の危険」)という分類が実はそれほど上手く機能していないという事を指摘できるはずです。詳しくは前回の記事を参照してください。)
(3)機能的一体性
(3-1)機能的一体性とは
他方、機能的一体性については、判例は「全体が一体として日夜人の起居に利用されていた」かどうかの判断と表現しています。
このような意味での機能的一体性(=使われ方の一体性)が肯定されたなら、「居住部分と一体として利用されることによって「人がそこに居合わせて火災の危険にさらされる可能性」は増加すると考えられる」(井田良「放火罪をめぐる最近の論点」阿部純二ほか『刑法基本講座第6巻各論の諸問題』)ため、「建造物内部への類型的な危険の可能性」の肯定につながるのです。
(3-2)機能的一体性の補充性
機能的一体性については、機能的一体性が物理的一体性を補充するものとして位置付けられるべきか、換言すれば、機能的一体性のみで「建造物内部への類型的な危険の可能性」を認定してはならないのではないかが争われています。
このような機能的一体性の補充性を肯定する見解は、その根拠として、
❶「物理的一体性と機能的一体性という二つの基準は、社会通念による一個性の判断を具体化し補充する基準だと解されるが、物理的一体性がそもそも否定される場合には社会通念上も一個性が否定されると考えられる」
❷「そもそも宿直室の存在を理由としてただちにその建造物の全体を「住居」とすること自体が一つの拡張解釈であるのに、それに加えて、機能的一体性という曖昧な基準のみで一体性を拡大すると、犯罪の成立範囲が広がりすぎる」
・・・という考え方を主張しているようです。
このうち❶は説得力があまりないように思われます。
「社会通念上」の一個性はすなわち「建造物」性のことですので、そこから帰結されるのは最判平成1・7・14の考え方を否定し、構造上の一体性判断である「建造物」性と、延焼可能性や機能的一体性判断である「住居」性を明確に峻別すべきという考え方のはずです。それなのに、「物理的一体性と機能的一体性」という枠組みを維持しながら、機能的一体性の補充性を主張するのは、論理を徹底できていないと思います。
反面、❷は説得力があります。「住居」性の本質である「建造物内部への類型的な危険の可能性」を具体化する基準として登場したのが物理的一体性・機能的一体性ですが、機能的一体性は範囲が曖昧で、明確な基準を呈示できるツールではないため、補充的にのみ用いるべきなのです。
(cf. このように説明できることから、「物理的一体性が弱い場合に、それを補う限度では、機能的一体性が処罰拡張的に作用することは、一般的に認められているのであって、機能的一体性を考慮することによる処罰の拡張がその限度では許され、また、その限度でしか許されないとされる理由は必ずしも明らかでない」(斎藤彰子・『刑法判例百選2各論』p.171)という批判は的を射たものではないと思います。)
このように理解すれば、機能的一体性は補助的にのみ用いるべきこととなります。この結論が学説の多数説であるようです。
しかし、判例は、明示的には機能的一体性の補充性については言及していませんが、物理的一体性と機能的一体性を同列に論じていることから、補充性を否定し、両者を並列的に理解するのが、前述しましたように判例の立場として素直な理解です。
ですので、結局、この点につきましてはどちらでもいいと思います。論証に時間をかけられる場合は、機能的一体性の補充性を肯定した方が、説得力が増すと思いますが、時間が無い場合は、補充性は否定しておいた方が書く量が減るので無難ですよね。
④ (いわゆる)建造物の一体性~建造物内部の部分的独立性~
さて、放火罪最初の記事である「放火罪総説」で述べましたように、近時は難燃性建造物が登場したことにより、「現住」性にも新たな問題が生じました。それが、建造物内部の部分的独立性です。
(0)「建造物」の一部
議論の出発点としてまず通常パターンを確認しておきましょう。
Case.2 Xは、1階の一室が宿直室となっている校舎の2階部分に放火したが、すぐ消火され、2階部分の一部を焼損させたにとどまった。
これは、今までの議論のうちの何が問題となるかは分かりますよね?
まず、校舎が「建造物」に該当する事は疑いありません。ですので、現住建造物放火罪に問擬すべきことになります。
その上で、「宿直室」は、校舎とは構造上一体であり、「これを毀損しなければ取り外すことができない状態」にあります。ここから、非現住部分である2階部分のみ「焼損」したとしても、既遂罪が成立すべきなのでしたね。「建造物」の一部という問題領域でした。
同様の事案において、判例(大判大正2・12・24)も現住建造物放火罪の既遂を肯定しています。
(1)難燃性建造物と「現住建造物」
Case3. Xは、自分が住んでいる鉄筋コンクリート造り3階建マンションの305号室(空室)に放火したが、すぐ消火され、305号室内の押入れの壁面の一部を焼損させたにとどまった。
では、難燃性建造物の場合はどうでしょうか。
この場合、(0)での議論に加えて、「建造物」の一部である「305号室」には「建造物内部への類型的な危険の可能性」が認められるものの、同じく「建造物」の一部である「305号室以外の部分」には、難燃性であるがゆえに「建造物内部への類型的な危険の可能性」が無いかもしれない、という点をどのように処理するかが問題となっているのです。
そして、複数建物の一体性(本稿③)においては、「現住建造物」がどこまで広がるか、という視点であったのに対し、ここでは「現住建造物」をどこまで狭めるか、という視点が問題となるのであり、「住居」性の本質である「建造物内部への類型的な危険の可能性」がキーポイントになる点で両論点は表裏の関係にあるのです。
そこで、このcase3を処理するにあたって、③の議論とパラレルに考えると、
(1)305号室への放火は、「鉄筋コンクリート造」であり、延焼可能性がなく、物理的一体性が否定され、そこは「空室」であったことから、通常機能的一体性も否定されるため、「現住建造物」性が否定される。あるいは、機能的一体性は補充的にのみ働く概念で、物理的一体性がない以上当然に「現住建造物」性は否定される。よって、非現住建造物放火罪が成立することになる。
・・・と処理するか、あるいは、「公共の危険」に延焼の危険以外も含む立場から、
(2)延焼可能性はなくとも、「いわゆる新建材等の燃焼による有毒ガスなどがたちまち上階あるいは左右の他の部屋に侵入し、人体に危害を及ぼすおそれ」があるため、物理的一体性が肯定でき、「各室とこれに接続する外廊下や外階段などの共用部分を含め全体として1個の建造物とみるのが相当である」ため「現住建造物」性は肯定できる。よって、現住建造物放火罪が成立する。
・・・と処理するかのどちらかです。
Case2と同様の事案において、東京高判昭和58・6・20は(2)の考え方により事案を処理しました。
以上の③とパラレルに考えるという処理が理解できていれば、「建造物内部の部分的独立性」において事案の処理に困ることはないはずです。
(cf. ③と④の議論は本文において述べましたように、「住居」性において完全にパラレルです。しかし、「建造物」性においてまでパラレルに捉えなければならない理由はないように思われます。最判平成1・7・14が「全体が一個の現住建造物」という表現をしたことにより前提となってしまった、108条と109条においては「建造物」性ではなく、「現住建造物」性を問題にする論理(=108、109条と110条の区別における「建造物」と108条と109条の区別における「建造物」は議論のレベルが異なるという論理)は、複数建物の場合にのみ例外的に妥当し、建物が1つの場合は通常の「建造物」概念を前提とする事は可能であるはずです。
このように理解することができるとすれば、case2は、マンションという「建造物」であることは簡単に認定しつつ、「住居」性というレベルの議論として、上述の議論を展開すればそれで足りることになります。このように理解しているように見えるものとして、小川新二・『事例研究刑事法1刑法』p.321)