訴因の特定

訴因の特定について

 

①     訴因とは

 

刑訴法は、256条2項において起訴状の記載事項に「公訴事実」を掲げ、256条3項前段において、「公訴事実は、訴因を明示してこれを記載しなければならない」とし、256条3項後段において、「訴因を明示するには、できる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない」と規定しています。この趣旨は、第一義的には、検察官に審判対象で刑罰権発動の根拠事実たる具体的犯罪事実を明らかにさせるためでありますから、訴因とは犯罪事実を特定の構成要件に当てはめた形での事実(罪となるべき事実)として検察官が明示したものを指す言葉です。

ちなみに、この罪となるべき事実以外の記載を、実務では余事記載と呼んでいます。余事記載は、罪となるべき事実の特定に資する事項(ex.動機、被害品の時価評価額、共謀の日時など)でない限り、256条6項違反ともなりかねないため、なるべく避けるのが検察実務です。

 

256条3項後段の「罪となるべき事実」と「日時、場所及び方法」との関係について少しふれておきます。「日時、場所及び方法」については、「罪となるべき事実」そのものなのか、特定するための手段にすぎないのか見解が分かれています。判例は、白山丸事件(最判昭37・11・28)において、「本来は、罪となるべき事実そのものではなく、ただ訴因を特定する一手段」 として位置付けているため、後者の見解に立っています。もっとも、「日時、場所及び方法」という「罪となるべき事実」の特定に資する事項の中でも明文で認 められたものは、少なくとも訴因として記載された場合には、(訴因の事実的側面を重視する通説たる事実記載説からは、)当然訴因を構成することになりま す。

 

cf. 明文で認められていない「罪となるべき事実」の特定に資する事項については、訴因として記載すべき事項に含まれるか否かは、訴因の機能に遡って解釈することになります。先取りになりますが、訴因の機能について後述する識別説の立場に立つのならば、「罪となるべき事実」のみで審判対象が識別されているため、特定に資する事項については、記載すべき事項には含まれないものと解することになります。他方、防御権説に立つならば、被告人の防御にとって重要な事項(ex.共謀の日時や実行行為者の特定など)については、記載すべき事項に含まれることになります。

 

②     訴因の特定の趣旨

 

訴因を特定すべきとする趣旨は、訴因の機能を十分に働かせることです。つまり、「裁判所に対し審判の対象を限定するとともに、被告人に対し防禦の範囲を示す」最判昭37・11・28)ことにあります。審判対象の明確化と、被告人の防御対象の明示です。この二つが趣旨であると解する点において争いはありません。

 

③     訴因の特定の程度

 

では、具体的にどの程度の特定が要求されるのでしょうか。判例の考え方を見ていきたいと思います。

 

一 白山丸事件(最判昭37・11・28

 

共産党員である被告人が、当時国交の無かった中華人民共和国に密出国したという事案において、捜査機関側は、密出国したことが分かったのは後からで あり、相手国も国交が無いため、被告人がいつ密入国したのか調査を依頼することもできず、被告人も黙秘しているため、訴因には「被告人は、昭和27年4月 頃より同33年6月下旬までの間に有効な旅券に出国の証印を受けないで、本邦より本邦外の地域たる中国へ出国した」というかなり幅のある記載をしました。 この訴因について、出国の日時場所が特定されていないため争われましたが、判例は「犯罪の日時、場所及び方法は、これら事項が、犯罪を構成する要素になっ ている場合を除き、本来は、罪となるべき事実そのものではなく、ただ訴因を特定する一手段として、できる限り具体的に表示すべきことを要請されているのであるから、㈠犯罪の種類、性質等の如何により、これを詳らかにすることができない特殊事情がある場合には、㈡前記法の目的を害さないかぎり幅のある表示をしても、その一事のみを以て、罪となるべき事実を特定しない違法があるということはできない。」としています。

 

つまりこの判例は、概括的記載を許容するための要件として、㈠犯罪の種類、性質等による特殊事情、㈡法の目的を害さないことの二つをあげました。そして、訴因が、刑罰権発動の根拠事実を示して、裁判所の審判対象を識別し、被告人の防御の範囲を示すとの機能を有することから、㈡の要件を満たすには、❶特定の犯罪構成要件に該当するか判断可能な程度に具体的事実が明らかで(明らかでなければ刑罰権発動できない)、❷訴因の機能を害さないことが必要なのです。この❷の要件として、「審判対象の画定」のみを要求し、「被告人の防御範囲の明示」は「審判対象の画定」と表裏の関係であり、独立の要件化は必要ないとするのが、識別説でありまして、他方防御権説は、表裏の関係にあることを否定し、「防御範囲の明示」は「審判対象の画定」に解消されるものではなく、別個に要件として掲げるべきものと考えます。このあたりの解説は、古江先生の「事例演習刑事訴訟法」p.150以下が非常にわかりやすいです。

 

二 広島吉田町覚せい剤使用事件(最決昭56・4・25

 

被告人の尿から覚せい剤が検出されたが、同人は使用を否認し、目撃者もいなかったという事案で、公訴事実の記載が、「被告人は、法定の除外事由がな いのに、昭和54年9月26日ころから同年10月3日までの間、広島県高田郡吉田町内及びその周辺において、覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパン 塩類を含有するもの若干量を自己の身体に注射又は服用して施用し、もって覚せい剤を使用したものである。」という幅のあるものであり、訴因の不特定を理由 に公訴棄却すべき事案かどうかが争われました。判例は、「本件公訴事実の記載は、日時、場所の表示にある程度の幅があり、かつ、使用量、使用方法の表示に も明確を欠くところがあるとしても検察官において起訴当時の証拠に基づきできる限り特定したものである以上、覚せい剤使用罪の訴因の特定に欠けるところはない」としています。

 

この判例は、要件として「できる限り特定した」ことのみを挙げています。しかしながら、白山丸事件で示された㈡の要件は、訴因の本質から導かれるも のでありまして、当然本判決も前提にしているものと解されます。ですので、㈡の要件該当性についても考えてみますと、覚せい罪使用罪においては、覚せい剤 が尿中から検出した事実から特定の犯罪構成要件に該当するか判断可能であり、❶を満たします。そして、❷の中で「防御範囲の明示」については、(防御権説 に立って独立の要件と考えたとしても、)使用事実自体は、尿鑑定がほぼ決め手に近く、弁護側としては、故意を否定する 弁護活動をするほかないのですが、その弁護活動においては日時、場所は重要ではないため、防御に支障はなく、この要件に反することはありません。「審判範 囲の画定」につきましては、(継続犯や包括一罪と捉えるのではなく、)同一機会を除く覚せい剤の複数回使用を併合罪と捉える通説の立場からは、他の使用行 為と識別できているのか疑問が残ってしまいます。この点に関しては、逮捕時に直近する最終使用を起訴したものとして、特定する考え方(最終行為説)や、尿から検出された覚せい剤を摂取した行為のうち少なくとも1回を起訴したとして特定する考え方(最低一行為説)のいずれかに立てば、識別可能となり、この要件にも反しないこととなります。

 

また、㈠の要件該当性についても考えてみますと、覚せい剤を含めた薬物犯罪は、直接的な被害者がいない上、その製造、流通、使用の各過程の関与者いずれもが処罰されることから、関与者すべてが捜査機関に見つからないことが最大の利益となるという構造を有する犯罪類型です。そのため、犯行が密行性を有するので、特定が困難であるという犯罪の性質による特殊事情が存在します。ですので、㈠の要件にも該当します。

 

以上から、白山丸事件判決で示された基準から説明できますし、また、その方がより緻密に分析できますので、覚せい剤事案もこのように分析すべきだと思われます。

 

 

最後に、最決平14・7・18が、訴因の具体化が犯罪の性質として困難とはいえない傷害致死罪において概括的記載を容認しているため、特殊事情を要求する㈠の要件が必ずしも不可欠なものではない可能性がでてきたことを指摘しておきます。

 

㈡の要件は、訴因の本質から導かれるものであるため、これがなければ公訴提起が無効となるものであるのに対し、㈠の要件や「できる限り特定した」かどうかというのは、256条3項に違反するかどうかの問題で、これにより訴因が不特定となり、公訴提起が無効となるわけではない、と考えることもできるようです。つまり、256条3項後段は、訴因の特定という局面を規定しているのではなく、訴因の特定に必要最低限の記載に加えて、「できる限り」もうちょっと記載してね、という条文であると読むのです。これが古江先生の前掲p.155の説明をもう少し砕いて表現した理解だと思います。

 

技巧的かもしれませんが、否定の結論に持っていきたいときは、㈠の要件も立てておいて、肯定の結論に持っていきたいときは㈠の要件を立てないという戦略もありなのかもしれません。