民事訴訟と行政訴訟について
今回は、民事訴訟と行政訴訟の境界について考えてみます。事案を処理する際、民事訴訟を提起するか、行政訴訟を提起するかは実務家にとって、とても大事な分岐点です。
なぜなら、例えば非権力的行為である事実行為の差止め等を求める民事訴訟を代理人として提起したけれど、公権力の行使にあたる行為であるという理由で却下されたような場合、民事訴訟に費やしてきた費用も時間も全て無駄となるからです。
それは、訴訟を依頼してきた原告に多大な迷惑をかけると同時に、場合によっては、善管注意義務違反を理由とした債務不履行に基づく損害賠償請求や所属弁護士会への懲戒請求という形で実務家に跳ね返ってくるのです。
① 問題の所在
民事訴訟と行政訴訟の境界といっても、要は、「公権力の行使」(行政事件訴訟法3条1項)にあたる行為については、(民事訴訟・当事者訴訟の中で処分の無効を主張する場合を別として、)抗告訴訟で争わなければならないというルールに抵触するかどうか、という問題です。
つまり、結局「公権力の行使」といえるかどうかの問題である訳です。
② 判断要素
では、具体的な行為について、「公権力の行使」であるか否かをいかに判断すべきなのか、判例を参考に見ていきたいと思います。
(1) 供託金取戻請求の却下(最判昭45・7・15)
供託時から10年経過分につき、消滅時効の完成を理由に供託官が供託金の取り戻し請求を却下した却下処分について、取戻請求者が供託官を被告として却下処分の取消訴訟を提起したという事案において、
判例は、「供託官が弁済者から供託物取戻の請求を受けた場合において、その請求を理由がないと認めるときは、これを却下しなければならず(供託規則38条)、・・・(中略)・・・、供託官の却下処分に対しては特別の不服審査手続きを設けている。右のような実定法が存する限りにおいては、供託官が供託物取戻請求を理由がないと認めて却下した行為は行政処分」としています。
まず、この事案を分析する際に指摘すべきポイントとなるのは、供託関係が民法上の寄託契約の性質を有することです。つまり、私法行為としての側面は間違いなく有しているのです。その上で、丁寧に論証するならば、公法行為としての側面も有しているのか、有しているとして併存できるのか、併存できるとして、問題となっている局面はどっちの側面が顕れているのか、という論理の流れとなるわけです。
判例の判断で重要なのは、①当該行為を基礎づける実定法の仕組みを検討し、②不服審査手続きがあることを大きな手掛かりに、処分性を認めているということです。
(処分性とは、公権力性を要素の一つとして内包する概念であり、処分性が認められたということは、「公権力の行使」にあたるといってよいと思われます。公法行為としての側面を有していること及び併存できることを前提に、公法行為としての側面が顕れている局面と判断しているのです。)
もっとも、本判決は、最高裁判事14人中6人が反対に回っていまして、反対意見において、①の視点から、「供託物の還付請求権や取戻請求権自体は供託に伴い法律上当然に発生する」ため、「供託官の認可によって、はじめてその権利が発生するというようなものではない。」と評価し、②の視点から、審査請求に行政不服審査法の規定が適用されるのですが、不服申立期間の制限など重要な規定の適用が排除され、供託官の処分は不可争力を欠く点を捉え、処分性を否定しています。
(反対意見は、公法行為としての側面を有していること及び私法行為と公法行為としての側面が併存できることは認めていますが、私法行為としての側面が顕れている局面であると評価しているのです。)
ここから言えることは、同じ視点であっても、関連実定法の仕組み解釈が異なれば、結論は逆になりうるということです。ここまで結論が分かれたのは、供託関連法規が簡略不備であったためといわれていまして、かなり特殊ケースではあったのですが、実定法解釈を丁寧に行うことの重要性が読み取れると思います。
(2) 公共施設の設置・供用について
ごみ焼却場の設置(最判昭39・10・29)、大阪空港事件(最判昭56・12・16)、日本原事件(最判昭62・5・28)、厚木基地事件(最判平5・2・25)を連続的に見ていきます。
上で述べましたように、「公権力の行使」該当性を判断する際には、私法行為と公法行為としての側面が混在することを容認することを前提としまして、どちらの側面が顕れている局面か判断すべきであります。その判断は、上述の①の手法、すなわち実定法の仕組みを検討すること等で行うのですが、そもそもその判断の客体である「行為」をいかに捉えるか、というのがここでのポイントです。
ごみ焼却場の設置場所の選定が清掃法6条に違反するとして、東京都によるごみ焼却場設置の一連の行為の無効を原告が求めた訴訟において、
判例は、ごみ焼却場設置行為を、一連の行為からなる「複合的行為」とは捉えずに、一連の行為を分解し、❶土地の買収行為、❷ごみ焼却場設置計画、❸設置計画の議決・公布、➍建設会社との建築請負契約、❺建築等の設置行為そのものの集合と捉え、❶及び➍は私法上の契約、❷及び❸は内部的手続き行為、❺は事実行為であり、いずれも処分性を持つ行為ではない、と判断しました。このように、行為を分解して、判断する手法を個別分析的アプローチといいます。
しかし、国営空港の供用等の民事差止め等が争われた大阪空港事件判決において、
判例は個別分析的アプローチをとらず、航空機の離着陸のためにする国営空港の供用は、運輸大臣の空港管理権と航空行政権という2種の権限の総合的判断に基づいた不可分一体的な行使の結果であるとして、「公権力の行使」該当性を肯定し、民事訴訟の手続きによる請求を否定しました。
(cf. ちなみに、本事件では、民事訴訟が否定されたため、行政訴訟を提起すべきこととなるのですが、具体的には、㈠定期航空運送事業免許取消訴訟、㈡大臣が航空機騒音障害防止法3条に基づき航行の方法を告示で指定すべき旨を命ずることを求める義務付け訴訟、㈢抗告訴訟としての権力的妨害排除訴訟(塩野先生)、㈣公法上の当事者訴訟等が考えられるといわれています。)
(cf. さらに、本事件では、実定法を根拠にすることなく(①の視点の放棄)、「空港国営化の趣旨」を根拠として、論を進めており、これは法治主義に反するとして学説は総じて批判的です。この大阪国際空港判決の理屈を論証にそのまま援用するわけにはいかないようです。)
けれども、判例は、自衛隊の演習場における射撃訓練ないし立ち入り禁止措置が抗告訴訟で争われた日本原事件において、個別分析的アプローチを採用し、「公権力の行使」該当性を否定し、抗告訴訟を不適法としました。
さらに、厚木海軍飛行場における自衛隊機の離着陸の差止めや騒音規制が求められた厚木基地訴訟において、自衛隊機の運航に関する防衛庁長官の権限の行使は、自衛官に対して職務命令が発せられ、そして実行行為として自衛隊機の運航が行われているのですが、
判例は、このように個別的に分析することなく、①の視点、つまり自衛隊法107条5項(当時)等の実定法の仕組みを分析したうえで、自衛隊機の運航に関する防衛庁長官の権限の行使は、運航等必然的に伴う騒音等について周辺住民の受忍を義務付けるものと評価し、「公権力の行使」該当性を認めています。
ここから、試験対策としては、個別分析的アプローチに拘泥する必要はなく、あくまで行為を捉える際の武器の一つと捉えればよいものと思われます。それよりも、行為について①②の視点から、「公権力の行使」に該当するか否かを丁寧に分析することが大事なのだと考えます。