違法収集証拠排除法則について(上)
違法収集証拠排除法則につきましては、古江先生の事例演習刑事訴訟法のp.265以下がものすごくわかりやすいので、これは必読であると思います。しかし、(私が読んだ感想がそうだったのですが、)これだけでは、違法性の承継論と毒樹の果実論との関係があまりピンとこないと思いますので、私なりに一から説明する中で、そこら辺をより丁寧に説明していきたいと思います。
① 違法収集証拠排除法則とは
違法収集証拠排除法則とは、違法に収集された証拠の証拠能力を否定する証拠法則です。そのままですね。例えば、警察官が被疑者をボッコボコに殴っ て、ポケットに隠していた覚せい剤を取り上げたような場合、その覚せい剤は証拠として使えなくなるのです。その結果、被疑者が無罪になることも当然ありう ることとなります。
ここで、違和感を覚える人も多いと思います。というのも、どれだけ違法な手続きで収集されたとしても、覚せい剤という証拠物の存在・形状に関する証拠価値に変わりはないのです。つまり、証拠の客観的価値は揺るがないはずなのに、捜査官が違法なことをやったからといって、証拠能力を否定し、ともすれば 有罪が確実なはずの被告の無罪放免にも繋がりうる法則を何故採用しているのか!捜査官が違法かどうかと被告の有罪無罪は分けて考えるべきではないか!と感 じるからだろうと思います。
この誰もが感じうる違和感を解消するためには、言葉を尽くす必要があります。つまり、違法収集証拠排除法則を所与のものとして論証してはならず、根拠論を明確にして論じなければならない、ということです。
② 違法収集証拠排除法則の根拠
排除法則の根拠として、学説は三つの根拠を主張しています。
(1)裁判所が違法収集証拠を許容するならば、捜査機関の違法行為を是認することになり、司法への国民の信頼を損なうので、排除法則が必要であるとする司法の廉潔性論
(2)証拠排除は違法捜査を抑止する手段だとする抑止効論
(3)排除法則を、刑事手続きに関する憲法規範(特に憲法35条)などに内在する要請と理解する法規範論(適正手続論)
これらは互いに排斥しあう根拠ではありません。いずれか一つだけを選択しなければならないわけではないのです。しかし、(3)を選択する際には、 (1)(2)を同列の理由づけとして用いるのはあまり好ましくないと思います。明文に根拠を求めるのなら、それだけで必要十分であるからです。(3)を選択した場合は、憲法及び刑訴法の解釈として、排除法則の根拠は、憲法35条のほか、憲法33条、34条等の手続規範そのものに求めることができるため、 (1)(2)の観点は、憲法35条等に内在する法規範としての排除法則の実質的な根拠づけに寄与するものと位置付けることになります。(上口裕「刑事訴訟法」p.451)
もっとも、これから違法収集証拠排除法則の内容について、判例に沿って理解していくわけですが、判例の採る基準を論証で導くためには、判例がいかなる根拠に基づいて排除法則を理解しているかに迫る必要があります。
この点、判例は最高裁として初めて違法収集証拠排除法則を採用した最判昭和53・9・7において、「違法に収集された証拠物の証拠能力については、憲法及び刑訴法になんらの規定もおかれていないので、この問題は、刑訴法の解釈にゆだねられている」と明言しています。つまり、憲法の明文に根拠を求める(3)の観点は未だ判例の採用するところではないのです。そして判例は、基準として「証拠物の押収等の手続に、・・・令状主義の精神を没却するような重大な違法があり、これを証拠として許容することが、将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないと認められる場合においては、その証拠能力は否定される」として、「将来における違法な捜査の抑制の見地」を明言しているため、(2)を根拠の一つとしていることは明らかです。
そこで判例の基準を論証する際に用いるべき根拠論としては、(2)のみか、(1)(2)併用のいずれかがよいと思われます。ちなみに、最高裁が大いに参考にしていると言われているアメリカの連邦最高裁の採る違法収集証拠排除論は、(2)を唯一の根拠としているため、(2)のみでも根拠として不足するわけではありません。
③ 排除の基準
違法収集証拠排除法則とは、証拠能力を排除するための基準でしたね。しかし、違法でありさえすれば全ての証拠を排除するというのでは、国家として適 正な処罰をなすことができなくなります。例えば、捜査官と犯罪者との間で、「違法捜査したことにしてくれたら、捜査官が今後こうむる処分や冷遇等の不利益 を上回る分の金銭を与える」といった内容の裏取引すら可能な状況となってしまいます。そのようなインセンティブは犯罪者にとっては(刑罰を課されるかもしれないという不利益を常に抱えた地位に立たされている訳ですから)常に存在しますが、捜査官にまで与えてはなりません。証拠排除すべき場合は、もっと厳格にとらえるべきです。
そこで、いかなる場合に証拠能力を排除するかの基準を考える必要があることになります。
上記判例は、「①証拠物の押収等の手続に、憲法35条及びこれをうけた刑訴法218条1項等の所期する令状主義の精神を没却するような重大な違法があり、②これを証拠として許容することが、将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないと認められる場合においては、その証拠能力は否定されるべきものと解すべきである」という基準を提示していまして、以後判例の確立した基準となっています。大体皆さんこの基準は暗記している類のものですよね。この基準は、①重大な違法と②排除相当性という二つの要素に分解できます。
(cf. 判例は、重大な違法について、「令状主義の精神を没却するような」という修飾語を必ずつけますが、手続違反は令状が必要であった局面に限られませんので、それ以外の被告人の基本的権利の侵害等も含めうると解されています。)
この①②二つの要素は、根拠論からどう導けばよいのでしょうか。
まず、(2)のみを根拠と解した場合、②はそのまま導けますね。問題は①です。将来の違法捜査抑止の見地からは、軽微な違法でも排除すべきとも思わ れるので、それを否定しなければなりません。この点、今日の抑止効論は、違法収集証拠の排除によって真犯人の処罰を犠牲にすることになっても、将来の違法 な証拠収集活動を一般的に抑止・予防することの方がより重要な場合に限り、違法収集証拠を排除するという考え方が採られています。つまり、違法捜査をどう抑止するかという観点のみから判断するのではなく、その場合のコストも考慮に入れるという訳です(コスト・ベネフィット論)。
このコスト・ベネフィット論を前提とする限り、真犯人の処罰ができないというコストよりも違法捜査を抑止するというベネフィットが上回る場合に限り、証拠排除が正当化されますので、「重大な」違法という要件も導けることとなります。
他方、(1)(2)を根拠とした場合、(1)から①を、(2)から②を導くのが無難です。司法の廉潔論というのは、裁判所が捜査機関の違法に収集し た証拠を許容すると、国民に、裁判所は捜査機関の違法行為に加担しているとの印象を与え、司法に対する国民の尊敬や信頼を失わせてしまうので、国民の司法 に対する尊敬・信頼を確保・維持するために違法収集証拠を排除する考え方です。この理屈が国民の司法に対する尊敬・信頼を確保・維持することを目的とする 以上、違法収集証拠排除によって真犯人が不処罰となることによる司法への信頼の喪失も考慮せざるをえず、結局ここでもコスト・ベネフィット論が顔を覗かせてくるわけです。ここから、「重大な」違法が基礎づけられることとなります。
では、判例は「①又は②」ならば証拠排除する(競合説)といっているのでしょうか、「①かつ②」ならば証拠排除する(重畳説)といっているのでしょうか。
これは、いずれでもいいと思われます。試験対策の観点からは、常に①も②も検討できる重畳説が望ましいとは思いますが、競合説に立つ場合でも検討する順番さえ考えれば、常に①も②も検討可能であるため、どちらでも構わないと思います。
いずれにせよ大事なことは、(1)(2)の根拠は共に利益衡量を図ろうとする理屈ですので、そこから導かれる①②の要件も、諸要素の総合衡量が内実であるということです。
具体的には、①では手続違反の法規からの逸脱の程度や計画性、遵法行為の困難性などを考慮し、②では手続違反の頻発性や手続違反と証拠獲得との因果性、事件の重大性、証拠の重要性などを考慮することになるようです。
(手続違反と証拠獲得との因果性については、①②とは別の③の要件として検討する見解もあれば、①の要件として検討する見解もあります。要件の一つ であるということを覚えておく必要はありますが、どのように位置づけるかはあまり気にしなくてよいようです。ただ、後述するように応用論点である違法性の 承継論との関係からいうと、③として位置付けるのが分かりやすいと思われます。)
cf. (1)(2)をともに根拠として①②を導いた場合、(1)から①を、(2)から②を導いたのですから、両者は当然並列の関係ではないのか、 と考えることもできるかと思いますが、「証拠排除の持つ重大な効果に鑑みて、司法の無瑕性(廉潔性)の観点からも、また、違法捜査の抑止という観点から も、それが正当化できる場合に初めて排除を認めるという考え方」も可能であるため、論理必然というわけではないようです。このcf.の記載もそうですが、 この排除法則の根拠論に関する記事は、古江先生の事例演習刑事訴訟法の内容が軸となっています。古江本の解説は、本当にわかりやすいので、ぜひご一読くだ さい。
(続く)