違法収集証拠排除法則(下)

違法収集証拠排除法則について(下)

 

前回は、違法収集証拠排除法則の根拠論および基準について見ていきました。今回は、違法収集証拠排除法則の拡張類型を中心に見ていきたいと思います。

判例理論を理解する際に注意すべきは、最判平成15・2・14の判示との付き合い方です。この判示をいったん除外して判例理論を理解したうえで改めてこの判示に向き合うか、むしろこの判示こそ判例理論と捉え理解の軸とするかのいずれかしかないと思います。私は前者の手法を採り、最判平成15・2・14の内容については、cf.内で言及するにとどめました。

 

④ 拡張類型概観

 

今までの議論は、証拠が違法手続に直接由来する場合が想定されていました。

例えば、令状もないのに無理矢理被疑者を羽交い絞めにして強制的に採尿したような場合に、その違法な採尿手続によって、得られた尿及びその鑑定書の証拠能力を否定してよいかというような局面が議論されてきたのです。

もっとも、捜査活動は手続きの積み重ねですから、証拠能力が問題となっている証拠が違法手続に間接的にのみ由来する場合も当然想定されます。

例えば、ボッコボコに殴って被疑者を捕まえたあと、その身柄拘束状態を利用して、後日被疑者を説得し、誤魔化すことを諦めさせて、完全に任意に(それ自体としては適法に)尿を提出させるような場合です。

 

このような違法手続と証拠の関連性が間接的な場合の証拠排除は、二つの類型に分けることができます。

 

(1)   違法性の承継が問題となる類型

 

第一は、先行手続の違法が、後行手続を介して当該証拠に波及する類型です。上述のボッコボコに殴って・・・という例えがこの類型です。

 

(2)   毒樹の果実論が問題となる類型

 

第二は、先行手続の違法が、第一次証拠を介して第二次証拠に波及する類型です。例えば、ボコスカ殴りながら取り調べが行われ、その取り調べにより凶器を川に捨てた旨の自白が採取され、その自白に基づいて川を捜索して証拠物たる凶器が発見されたような場合がこの類型です。

 

⑤ 違法性の承継論

 

(1)違法性の承継論とは

 

まず、第一類型において前提となっているのは、「後行手続は適法かあるいは軽微な違法で、後行手続自体に違法収集証拠排除法則を適用しても証拠能力は否定されないこと」です。もし後行手続に重大な違法があるのであれば、それだけをもって後行手続に直接排除法則を用いれば証拠能力を否定できますので、そもそもこの類型として考える必要がないのです。

 

本題に入ります。違法な先行手続と重大な違法まではない後行手続がファクターとして必ず存在するこの類型の処理方法は理屈として3パターンあります。㈠先行手続と後行手続は全く別の手続であるから、各々独立に考える方法、㈡先行手続と後行手続は、結果として証拠採取のために経由してきた手続きであるから一体として捉える方法、㈢先行手続と後行手続は原則として分けて考えるけれど、一定の場合には先行手続の違法性が後行手続の適法性に影響を与えるという考え方です。

 

ここで、㈠㈢は、証拠能力の有無の判断に際しては、後行手続の適法性のみに着目しているのに対し、㈡は、手続全体の適法性に着目していることに注意してください。㈢は、一定の場合には手続を一体として捉えるという訳ではありません。あくまで後行手続にのみ着目し、先行手続が後行手続の適法性に影響を与えているのなら、その限度で先行手続にも目を向けているだけなのです。このようにあくまで後行手続の違法性にこだわるからこそ、㈢の考え方は違法性の「承継」論と呼ばれているのです。

 

判例は、この「違法性の承継」論を採用しています。では、いかなる場合に、先行手続の違法性が後行手続に影響するのでしょうか。

 

(2)「違法性の承継」の判断基準

 

判例は、最判昭和61・4・25において、「被告人宅への立ち入り、同所からの任意同行及び警察署へのとどめ置きの一連の手続と採尿手続は、被告人に対する覚せい剤事犯の捜査という同一目的に向けられたものであるうえ、採尿手続は右一連の手続によりもたらされた状態を直接利用してなされていることにかんがみると、右採尿手続の適法違法については、採尿手続前の右一連の手続における違法の有無、程度をも十分考慮してこれを判断するのが相当である」としています。

要するに、先行手続と後行手続との間に「同一目的・直接利用の関係」があれば、先行手続の違法も考慮に入れるべき(先行手続の違法性が後行手続の適法性に影響しうる)といっているのです。

 

もっとも、あくまでこれは「先行手続の違法性は証拠と間接的にしか関係ないはずなのに考慮していいのか」という問題に対する答えでしかありません。 間接的な関係だけど、違法性の承継論を媒介して、「同一目的・直接利用の関係」があれば、直接的な関係と同視できるといっているのです。ですので、証拠排除できるかについては、さらに、違法収集証拠排除法則に従って判断する必要があります。

 

古江先生が事例演習刑事訴訟法p.287において、「判断枠組みは、まず第1段階として、①先行行為が違法な場合において、先行手続と後行手続の間に「同一目的・直接利用」の関係があるときは、先行手続の違法の程度を十分考慮して後行行為の違法性を判断し、後行手続が違法性を帯び ると判断されるときは、次に、第2段階の判断として、②「違法の重大性」と「排除の相当性」を検討する」と言っているのは、まさにその趣旨です。

 

(cf. 論証する際には、おそらく以上の理解で必要十分であると思います。もっとも、最判平成15・2・14の判示が、後行手続ではなく、先行手続に着目しているようにも見え(もしそうなら最終的には後行手続にのみ着目することを前提とする違法性の承継論は根元から崩れますよね。ただし、こうした判示の理解は少数です)、さらに「密接関連性」という「同一目的・直接利用」とは異なった基準も提示されていることから、現在の判例理解として正確かは議論のあるところのようです。しかし、「同一目的・直接利用」論を未だに判例が採用しているという分析は多数ありますので、理解を変更する必要はないと思います。

 

仮に、関連性について言及するとしても、「同一目的・直接利用」をメルクマールとしたうえ、関連性を上位概念として用いることに何ら違和感はありま せん。そもそも先行手続の違法性を証拠能力の可否を検討するに当たって考慮要素とすべきかを判断する際、後行手続の違法性に着目するとはいうものの、先行 手続の違法性と証拠との関連性が実質的なテーゼであるというのは、とても自然な発想です。それを具体的に考える際に用いるべき基準が「同一目的・直接利 用」なのです。ただし、このように考えた場合、「同一目的・直接利用」が要件事実ではなくなることには注意する必要があります。)

 

⑥ 毒樹の果実論

 

第二類型において問題となっているのは、「後行手続の違法性」ではなく、「先行手続の違法性」です。第二類型の場合、第一証拠採取手続→第一証拠取得→第二証拠採取手続→第二証拠取得という経過をたどるのですが、「第一証拠」と「第二証拠」の関連性が高いため、第二証拠採取手続を問題とすることなしに、第一証拠(毒樹)が違法ゆえに第二証拠(毒樹に生っている果実)も違法といえるという類型です。

 

この第二類型の特徴から、同一証拠についての、違法性の承継論と毒樹の果実論の検討順序は、毒樹の果実論→違法性の承継論であるこ とが分かります。まず後行手続の違法性を検討することなしに、先行手続の違法性から、(間接的な関連しかない証拠には毒樹の果実論を用いて)どこまで違法性が波及するかを検討し、それでも証拠排除できないものに関しては、違法性の承継論という理屈を通じて、後行手続に着目して証拠排除の可否を検討するのです。(私見)

 

このように、毒樹の果実論は、「先行手続の違法性」と「(第二)証拠」とが間接的な関係しかないことについて、第一証拠と第二証拠の関連性のみで排除法則適用を肯定する(直接的な関係と同視する)ものであるため、高いレベルの関連性が要求されます。㈠違法収集証拠と密接不可分の証拠、㈡違法収集証拠にその発見を負う第2次的証拠、㈢違法収集証拠を梃子として得られた供述、㈣反復自白の4類型のような限られた局面でしかこの論理が採用されないのはこのためです。

 

判断基準は、当然③第一次証拠と第二次証拠の関連性です。そして、当然ながら、毒樹の果実論を経て直接得た証拠と同視できる場合は、違法収集証拠排除法則より、①違法の重大性と②排除の相当性を問題として、証拠能力を否定するか判断するわけです。

 

(cf. 伊藤正己裁判官が、最判昭和58・7・12の補足意見において、判断基準に関して、「単に違法に収集された第一次的証拠となんらかの関連をもつ証拠であるということのみをもって一律に排除すべきではなく、①第一次的証拠の収集方法の違法の程度、②収集された第二次的証拠の重要さの程度、③第一次的証拠と第二次的証拠との関連性の程度等を考慮して総合的に判断すべき」としているのは、結局上記番号に対応しており、毒樹の果実論そのものの要件としては、③のみなのだと思われます。)

 

(cf. この毒樹の果実論に関しても、最判平成15・2・14の判 断枠組みは、こちらの理解を揺さぶってきます。どう揺さぶってくるかというと、この判例は覚せい剤という第二次証拠の証拠能力を考慮する際、毒樹の果実論を採用しているように見えるのに、第二次証拠獲得手続に着目しているのです。もしこのように考えると、違法性の承継論と毒樹の果実論の区別はぐちゃぐちゃになります。私見ですが、この判例を前提として、あえて区別するなら、第一次証拠と第二次証拠の関連性を考慮に入れるべき類型かどうかの一点において異なるのみということになると思います。つまり、原則は違法性の承継論、証拠同士の関連性が高そうな場合は例外的にその点も考慮に入れる(それを毒樹の果実論と呼ぶ)という関係が成立しているように思われます。)

 

⑥ 例外法理

 

違法収集証拠排除法則や毒樹の果実論については、㈠希釈法理、㈡独立入手源の法理、㈢不可避的発見の法理、㈣善意の例外の法理の存在がいわれています。しかし、これは規範として書く必要はなく、あてはめの考慮要素として捉えておけば十分でしょう。

 

希釈法理とは、違法手続(又は毒樹たる第一証拠)と証拠(又は果実たる第二証拠)との間の関連性が、被疑者の自由意志の介在等の介在事情によって希釈されるときは、証拠は排除されないというものです。これは、関連性判断の一要素ですので、独立して要件化する必要はありません。

 

独立入手源の法理とは、違法手続(又は毒樹たる第一証拠)によって入手された証拠が、違法手続とは全く別個の適法な手続きによって再度入手された場合には、証拠排除されないとするものです。適法手続による再入手によって、関連性がリセットされると考えるので、やはり関連性判断の一要素といえそうです。

 

不可避的発見の法理とは、違法手続がなくとも、適法な捜査によっていずれ発見されたはずという仮定的判断に基づいて証拠排除しないとするものです。捜査機関がある程度証拠の場所をつかんでいたとかよほど高い証拠発見の蓋然性がないと認められるはずがありませんよね。これも結局関連性の問題ですが、この考慮要素は考慮に値するかどうかも議論の余地があります。

 

善意の例外の法理とは、捜査官が手続きの違法について善意であったときは、証拠排除されないとするものです。これは考慮要素としても採用すべきでないでしょうね。

 

 

以上のように、整理すればいいと考えています。この論点に関して、判例理論の整合的な理解は困難です。本稿においては、「同一目的・直接利用」論をベースとしましたが、最判平成15・2・14を完全にベースとした「密接関連性」論の方がむしろ今後は主流になっていくのかもしれません。

さらに、この論点は、考えれば考えるほど、「先行手続の違法」が「証拠」に波及するか否かという統一的視点からこの問題を整理される川出先生の有力説が正しく、上述のような判例の整理の仕方はいずれにせよ無駄にややこしいだけという気がしてきますので、理論的にすっきりされたい方は、川出先生の「いわゆる『毒樹の果実論』の意義と妥当範囲」『松尾浩也先生古稀祝賀論文集(下)』を読むことをお勧めします。