訴因変更の可否

訴因変更の可否について

 

①     訴因とは(再掲)

 

刑訴法は、256条2項において起訴状の記載事項に「公訴事実」を掲げ、256条3項前段において、「公訴事実は、訴因を明示してこれを記載しなければならない」とし、256条3項後段において、「訴因を明示するには、できる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない」と規定しています。この趣旨は、第一義的には、検察官に審判対象で刑罰権発動の根拠事実たる具体的犯罪事実を明らかにさせるためでありますから、訴因とは犯罪事実を特定の構成要件に当てはめた形での事実(罪となるべき事実)として検察官が明示したものを指す言葉です。

 

②     訴因変更の趣旨

 

法312条1項は、「公訴事実の同一性を害しない限度」という制限つきではありますが、検察官に訴因変更請求権 を認めています。このような訴因変更請求制度の趣旨を、訴因対象説から説明します。訴因対象説に立つと、審判の対象は訴因ですので、裁判所が訴因外の事実 の心証をもった場合、認定できません。このような場合において、毎回公訴を取り消して、起訴をやり直さなければならないとすると、訴訟経済に反しますし、被告人にもかえって負担が大きいです。ですので、事件が同一である限りにおいて、同一訴訟における一回的解決を図ることを可能にすることに訴因変更の趣旨があります。

 

③     公訴事実の同一性

 

以上のように、訴因変更は「公訴事実の同一性を害しない限度」において認められています。では、訴因変更の可否を決定づける、312条1項にいう「公訴事実の同一性」とは一体どのような概念なのでしょうか。まず、従来から学説において言われているのは、訴因対象説を採用する以上、「公訴事実」の文言を重視すべきでないため、「公訴事実の同一性」という概念は、機能概念である(古江先生の「事例演習刑事訴訟法」p.172参照)ということと、「狭義の同一性」と「単一性」の二つに分解できるということです。

そもそも訴因変更制度は、被告人の負担の面から同一の訴訟で審理するのが相当であること、及び当初訴因と実体法上一罪の関係にある事実については訴訟経済の要請か らくる同時処理の必要性があることから認められたものです。そうだとすれば、訴因変更が認められるかどうかは、変更後の訴因が当初訴因と同一といえるか (「狭義の同一性」)、又は実体法上一罪の関係にあるか(「単一性」)が判断基準と言えるのです。もっとも、「単一性」「狭義の同一性」という言葉にいか なる意味を持たせるかは、学説上はまさに百花繚乱の有様でありまして、これも一つの論証にすぎません。田宮先生の刑罰関心同一性説や、平野先生の訴因共通 説など、著名な先生の考え方の論証を用意しておくのもアリだと思います。しかし、私は訴因変更の可否という手続的側面の強い問題について、実務を意識する ことなく自説を論証することにさしたる意味を感じませんので、判例に目を向けたいと思います。判例はどのように考えているのでしょうか。

 

④     判例の考え方

 

(1)   非両立基準

 

判例は、例えば、枉法収賄と贈賄の公訴事実の同一性が問題となった最判昭和53・3・6において、「(枉法収賄の訴因と贈賄の訴因とは、)収受したとされる賄賂と供与したとされる賄賂との間に事実上の共通性がある場合には、㈡両立しない関係にあり、かつ、一連の同一事象に対する法的評価を異にするに過ぎないものであって、㈠基本的事実関係においては同一である」としています。また、覚せい剤使用罪につき使用の時間、場所、方法に差異のある訴因間における公訴事実の同一性が争われた事案である最判昭和63・10・25において、「そうすると、両訴因は、その間に覚せい剤の使用時間、場所、方法において多少の差異があるものの、いずれも被告人の尿中から検出された同一覚せい剤の使用行為に関するものであって、事実上の共通性があり、㈡両立しない関係になると認められるから、㈠基本的事実関係において同一である」としています。

 

以上二つの判例から明らかなのは、判例はまず大きなテーゼとして㈠「基本的事実関係において同一である」かどうかと いうものを立てています。ここまでは分かりやすいですね。判例が基本的事実同一説と呼ばれるのはこのテーゼのためです。そして、㈠を満たすための一つ前の 理屈として、㈡非両立性が挙げられているのです。この二つの判例の文言だけを単純に見れば、「事実上の共通性」→「両立しない関係」→「基本的事実関係に おいて同一」という理屈の順番ですよね。

 

ちなみに、この㈡の非両立性が分かりにくい概念です。非両立性の基準は、一方の訴因が認められるなら他方の訴因は成立しえないという関係にある場合には、㈠のテーゼを満たすという考え方で す。㈡「両立しない関係」→㈠「基本的事実関係において同一」ゆえに訴因変更できるといえる根拠は、いずれか一方の訴因しか成立しえないということは、そ の範囲内においては他方の訴因での起訴が禁止されるということを意味しますが、だとすればその範囲内においては訴因変更が認められるべきだということにあ るようです(注釈刑訴4巻458頁)。裏から補強したという感じの何とも分かりにくい理由づけです。

 

(2)   共通性基準

 

他方、判例には㈡の非両立性基準を用いず、㈠のテーゼについての結論を導いているものもあります。最判昭和29・9・7は、窃盗訴因から盗品等保管の訴因に変更したことの可否が問題となった事案で、「日時の同一、場所的関係の近接性及び不法に領得された甲所有のリアカー1台に被告人が関与したという事実に変わりはないから、右両訴因の間の基本的事実関係は、その同一性を失うものでないと解するを相当とする」と判示しました。これはつまり、「日時や場所、行為の方法などの共通性」→㈠「基本的事実関係において同一」という理屈です。では、非両立基準との関係はいかように考えればよいでしょうか。

 

(3)   判例理論の統一的理解

 

非両立基準と共通性基準の二つは全く別の理屈であると分析する学説もないではないですが、㈠が最終的なテーゼである点は共通しており、判例はずっと同じ立場とみるのが素直です。

よくいわれているのが、非両立基準がわざわざ持ち出された事案では、犯罪の日時、場所、行為等の面で重なり合いが少ないけれど、判例としては訴因変更を肯定しないと、被告人が2回処罰されてしまう可能性があり、結論としては同一性を肯定すべきと考えられる事案であったということです。そして、「日時や場所、行為の方法などの共通性」という形で、訴因同士を単純に比較する共通性基準が上手く働かなかったため、非両立基準が持ち出されたのです。そうだとすれば、非両立基準は、訴因の背後の社会的事実をも考慮対象にいれるための基準といえそうです。

 

つまり、非両立基準は、「事実上の共通性」→「両立しない関係」→「基本的事実関係において同一」でしたね。この図式は、一面においては正しいので すが、実は「両立しない関係」→「事実上の共通性」でもあると考え、「事実上の共通性」=「両立しない関係」→「基本的事実関係において同一」という図式 なのです。そして、ここでいう「事実上」とは、訴因同士を比較したけど共通性が少なくて、苦肉の策として判例が出してきた「(訴因の背後の社会的)事実 上」と考えるのです。

 

こう考えると、結局判例は、「日時や場所、行為の方法などの共通性」について、訴因同士比較して、重なり合いがあれば「基本的事実関係において同 一」であり、訴因変更肯定で終了。重なり合いがなければ、今度は訴因の背後の社会的事実をも考慮対象にいれて、「両立しない関係」といえ、「(社会的)事 実上の共通性」があるかどうかを判断し、両立すれば訴因変更否定、両立しなければ「基本的事実関係において同一」であり、訴因変更肯定という形の二段階の 判断手法をとっているものと考えられます。

以上の(3)の記述は、出田先生の刑事訴訟法百選解説p.105を参考にしながら、私が組み立てた考え方ですので、批判的に見ていただく必要があるかもしれません。

 

もっとも、このように論証をすすめるとした場合に、注意すべきことが一つあります。議論を進める際に、当然圧倒的通説たる審判対象が訴因であるとい う訴因対象説に立つことになるのですが、この判例の基準ですと、訴因のみならず、(検察官の釈明や証拠調べの結果によって明らかになった)訴因の背後にあ る社会的事実にまで審判の対象が広がってしまっているようにも見え、矛盾ともとられかねないのです。

これに関しては、酒巻先生がおっしゃっていることなのですが、判例は訴因に表示された事実関係の共通性の程度を 評価して同一性を判断していると捉えれば、矛盾は回避できるようです。つまり、上では説明の便宜上「訴因の背後にある社会的事実」と表現していましたが、 論証の中では、このように表現するのではなく、「訴因に表示された事実関係」と表現して、あくまで訴因と訴因を比べているという態で論を進める必要がある のです。しかし、その実態は、訴因変更の可否判断に、検察官の釈明内容やそれまでの証拠調べの結果をも取り込んで判断しようとしている点であまり変わりが ないように思われます。